キレイに見せる。 というか、「普通」に見せる。
私の主人は写真が趣味なのですが、以前にどうしたら上手に撮れるのか、聞いてみたことがあります。
え~、ちなみに私は写真に全く、興味なし。
小学生と言わず、幼稚園生とも、違いが分からない感じ。(笑)
そんな私の写真を、サイトにアップすると、検索エンジンに引っ張られて、もの凄いメジャーなところに(その商品名を検索したらすぐに現れる画面とか)、に載っていたりして、
「本当に、いいのだろうか?!」という気持ちになります。(笑)
もう正直、すごく上手に撮ろうとか、そんな気持ちはなく、何気なく努力無しで、すこ~し上手く撮れるようになる方法はないか、という、全く意味のないただの会話で、質問をしてみた訳なのですが、
そんな適当な気持ちで質問したにもかかわらず、(笑)
その、どうしたら写真が上手に撮れるか、という、その時のアドバイスがなかなか良かったんですよね。
(適当な気持ちで質問しちゃって申し訳ない、みたいな。(笑))
「写真というのは、さりげなく見える一枚の中に、どれぐらい気を遣っているかってことなんだよ」、と。
考えてみたら、化粧品のポスターなんて、キレイな女優さんが風を受けて、ニコッ、パチっと撮っただけみたいに見える。
でも、その中では、ライトの当て方を考え、メイクを考え、風を考え、背景を考え、表情を考え、構図を考え…、と、いろいろな人が、その一枚をどういう風にとるのか、考えに考え作り上げて撮る。
SL写真を撮るときは、こういう風景の中にSLがこう走って入ってきて、こう出て行くから…、
と、撮る前に構図を決めて構えているわけで、
そこには結果を出すための考えや努力が沢山入っているわけです。
アドバイスから、ふと、考えると、
みんなそうだな~、
と思ったんですよね。
当たり前ですけど。
私はときどき小学校にボランティアに行くのですが、
小学校に行くときの私は、さりげな~く、けっこう気を遣っているわけです。
一応、「あの子のお母さん」、なので、歩いているだけで話題になっちゃうようなことは困るな、と。
目立たないけど口紅を付けたり、服も毎回同じのは避けたり、
ジーンズもさりげなく格好良く見せるカットのものを選んだり、
でも、じゃ、素敵なお母さんが歩いてきたかっていったら、そうじゃない。
普通のお母さんなわけです。
この、とくに美人でもない、目立たない、普通のお母さんが、
どれだけ気を遣って、普通のお母さんになっているか、君達分かるかい? ぐらいの。(笑)
私が気を遣うのを止めたら、
まず、髪はごま塩。
そして、バサバサ。
この前も見た服装が何度も登場。
唇に色が無く、口角が下がり、
眉毛がボサボサで、ヒゲが生えている。
みたいな感じ。(笑)
この落差が、年々ひどくなる。
気を遣わないときの、落ち方が激しい。(笑)
気を遣って、やっと、「普通」。
それが、年齢を重ねて知ったことです。
年齢を重ねてからの「普通」って努力の要ることなんだな、と。
どんなに、さりげなくても、
何もしていないのよ~、と言っても、
美魔女さん達が、どんなに努力しているか、この歳になると、切実に分かる。
努力していない、わけないから。
ぐらいの感じで分かる。(笑)
これが、身なりだけでなく、
食事だったり、家事だったり、仕事だったり、あらゆる所で必要になってくる感じ。
若いころは、向上するためにしていた努力も、今は、
まず、普通であるために、今までの状態をキープするためにも努力が必要で、
この努力が、やっても報われずに、下がることもある。
(どんなに努力しても、若い頃の方がキレイだったり。(笑))
それに、新たに旦那さんに見初められる必要もなく、
いいよ、別に見かけなんて、などと甘やかされると、
それはモチベーションも下がったりするわけで。
気が付けば私、本当に全然気を遣わない日々をけっこう過ごしました。(笑)
でも、気が付けば、
若々しく見える同年代って、少ない。
私も、みんなと同じなんだ、
と思ったら、少し、努力してみたくなった。
若いときは、作りでどうにも勝負が決まってしまう部分もあったかもしれないけれど、
この年齢になってからの勝負は、本当に「やるかやらないか」っていう努力も大きい。
そしてこの年齢になってからの勝負って、すごく味があって面白いというか、お互いが幸せになるための勝負に出来る。
どちらが健康で幸せでいられるか、みたいな。(笑)
人生って、長いね、みたいな。(笑)
どちらかと落とすための勝負ではなく、よりお互いが幸せになれる生き方の追求で、
価値があることのように思います。
これからも少~し気を遣って、
少~しでも若く見えて、
他の人にとってはどうでもいいかもしれないけど、
自分にとっては自己満足で楽しめる。
そんな大人女性を楽しんでみるのも、いいかなと思います。